「いつかじゃなくて、今、やればいいんじゃない」
夫のこの一言が、わたしの迷いを消し、3年半前、起業する勇気をくれました。

はじめまして
結婚相談所 
Salon de soelu(サロン ド ソエル)
代表のながい縁です。

縁結びの縁と書いて”ちなみ”と読むこの名前は本名です。

今の仕事は、生まれながらの天職を選んだかのように
褒めていただくことが多いのですが、
実は私の最初の就職は、銀行でした。

今となっては、人と人とのご縁を結ぶ、
結婚相談所の仕事も
カウンセラーという職業が好きな仕事であり、
自分の強みを活かしており、得意な仕事だと思います。

でも学生時代は全く得意分野だと思っていませんでした。

冒頭の夫の言葉に辿り着くまでは、
結婚後10年の専業主婦時代。

その後、5年半の契約カウンセラー時代があります。

何もできない何者でもないとおもっていた専業主婦から再就職し、
独立起業という道をたどるまで。
私の起業ストーリーを何回かに分けて書きたいと思います。

お付き合いいただけると幸いです。

☆自分の得意なことや才能など考えずに就職活動し、銀行員に。

話はさかのぼって、私の就職活動時。

バブルは弾けていて、就職氷河期真っ只中でした。

本当はなりたい職業があったけど、
親に反対されそうとか、
なれるわけがないなと思って
当時、学校に求人が出ていた

条件の良さそうな就職先を受けまくりました。

子どもの頃からずっと、私の親はしつけに厳しく
私は、親の顔色を見て行動する子どもでした。

父の実家は、代々医者の家系だったので、
幼い時から医者になるよう言われていました。

でも私は、父の期待には応えられず、どこかで罪悪感を持っていました。

ですから、無意識でしたがせめてもと、
真面目で固い職業を選んだ気がします。

自分の軸ではなく、他人の軸(親の軸)で動いていました。

面接は得意でした。

どの会社を受けても次々と面接を突破していきました。

人と話すのが好き、相手の望んでいることを瞬時に察して話すことが苦になりませんでした。

これは、今のカウンセラーという職業に通じる生まれ持った特性かもしれません。

でも職業と結びつけることはありませんでした。

当時は、インターネット普及開始期。

今のように、適職診断や自己分析などがネットで簡単にできる時代でもなく

色々自己分析して、就職活動に挑むということが少なかったように思います。

起業するにあたって、自己分析のようなことは何度もやりましたが、
新卒の就職活動のあの頃やっていたら、私はどんな会社に就職したのでしょう。

結局、合格通知をいくつかもらい、大学でも人気だった、第一希望の大手銀行に就職しました。

人を大切にしてくれる会社で先輩や同期、良い出会いに恵まれました。

社会人の基礎となることはすべて、この最初の会社で教わりました。

やりたい仕事ではなかったけど、順応力だけは高く
最初は、仕事は仕事と割り切ってこなせました。
(いまだに数字が苦手なのによくやってたものです笑)

お給料もよく、年に何度も国内・海外旅行に行ったり、
好きに買い物をし、美味しいものを食べたり、
飲みにいき、きままに充実した
丸の内のOL生活を満喫していました。

この頃、有名大学を出ている優秀な同期の女子は
寿退社でどんどん仕事を辞めていきました。

入行後数年で、同期女子は半分くらいになったイメージです。

今、みんなはどうしているんだろう。

(才能を生かして社会で活躍していて欲しい!)

☆自分軸はなく、言われるがままバリバリ働いた銀行員時代。

時は、あらゆる銀行が合併続きの真っ最中。

わたしの銀行もご多分にもれず、合併することに。

当時は秘書室にいたのですが、どんどん人が辞めていき、
普段の業務と合併準備で忙しさは加速。

辞める人の仕事をどんどん引き継ぎ、
わたし一人の仕事量が増え、
夜の12時に一人で銀行を出る日が続きました。

その頃は妹と二人暮らしをしていて、夜ご飯は、銀行の地下にあった自動販売機の菓子パン。

電気が消されて薄暗い地下の自動販売機が光って
パンが落ちる・・・
なんど思い出しても暗ーーい思い出。
(今、書いていても寂しくなりますね・・・)

そんな仕事の仕方をしていたので、
当時彼氏だった夫には、
仕事命だと思われていたようです。

ほんとずっと仕事をしていました。

そんなある時、会社の上司に呼ばれ、こんなことを言われました。

秘書も秘書室の事務も全部知っている大先輩。あなたはあの人の後を継げるような人材に育ていたんだと。

期待は嬉しいですが、心はもう悲鳴をあげていました。

でも「む、無理・・・」
心ではそう思っても、
元来、親の顔色ばかり見ていた私。

でも、期待してもらってるから頑張らなきゃ。

大好きな人たちがいる銀行のために頑張らなきゃ。

と、人の顔色ばかりみて、SOSが出せずにいました。

心は辛くて辛くて仕方なくなり・・・仕事の効率も下がりました。

今となって思えば、プチ鬱状態だったのだと思います。

合併までどうなっていくんだろう。

夜中の12時まで働く日々がいつまで続くんだろう。

合併したらどうなっちゃうんだろう。

ある日突然、プチンと糸が切れたかのように
もう限界となり、退職を決意しました。

ホッとした反面、
ご迷惑をおかけするなぁと、
後ろめたい気持ちもありました。

でも後になって、夫には、
あの頃のあなたとは結婚できなかった。

と言われました。

顔が死んでたと思います。

今は、あの時勇気を出して辞めて良かったと思っています。

☆結婚、出産で専業主婦を選ぶのが当然だと思っていた
その後、転職し、企業で社長秘書、受付などをさせていだたきました。

銀行に比べてのんびりとした仕事でした。

世の中にはこんな風に働いている人もいるんだと驚いたことを覚えています。

人間らしい生活をするようになったわたしは、
銀行での過酷な時代も見守ってくれた夫と結婚し、すぐに妊娠。

長男の妊娠8ヶ月の時に退職し、専業主婦時代に突入します。

子供産むなら子育てに専念したい。だから仕事はやめる。

専業主婦で家族中心の生活だった母の影響はとても大きかったと思います。

仕事と家庭の両立は無理。

女性は男性より仕事で活躍してはいけない。

そう言われて育っていたし、
深く考えることもなく、夫と話すこともなく、自分でもそうしたいと思い
ここから10年間の専業主婦生活に入ります。

いつか仕事するのか、しないのか、何も考えることなく
専業主婦にならせてもらえたのは幸せだったのか。

今となってはわかりません。

だた、先の人生を全く考えてなくて、もったいなったかもとは
今なら思います。

☆起業をし、自分の才能を活かす働き方
現在の私は、起業という働き方を知り、家庭と仕事のバランスをとりながら、
仕事をし、ありがとうと感謝していただくことも多くあります。

もっと早くにこの働き方を知りたかったです。

もし今あなたが、
結婚を機に仕事を見直したいと思っていたり、
家庭と仕事のバランスに悩んでいたり、
全業主婦でで子供中心の生活になっていて、
なんだかモヤモヤしていたりしたら
起業という働き方を視野に入れてもいいかもしれません。

私は全くのだだの専業主婦で特別なことは何もできませんでした。

まず、第一歩を踏み出したからこそ今があります。

あなたも、その勇気の一歩を踏み出して、よかったら会いにきてくださいね。

あなたの知らない才能があなたの中に眠っているはずです。

そんな女性の才能を応援すること。それも私の使命だと思っています。

長くなったので、
私の10年間の専業主婦からの仕事復帰、それから起業への道のり
②は
次回以降にまた書きますね!

よかったら、また読みにいらしてくださいね。

読んでくださってありがとうございました。

投稿者紹介

ながい 縁 Nagai Chinami
職業・婚活コンサルタント・パートナーシップコーチ
・TCS認定コーチ・マザーズティーチャー
・結婚相談所経営
・セミナー講師
経歴Salon de soelu(サロン ド ソエル)代表。
日本興業銀行(現みずほ銀行)秘書室勤務
三菱商事系メーカーにて社長秘書
中労働防止協会にて受付業務
10年間の専業主婦生活の後に、大手結婚相談所にて、
5年半婚活カウンセラーとして従事。
婚活カウンセラー10年目。


2018年結婚相談所Salon de soelu(サロン ド ソエル)開業
婚活塾『縁マリアージュカレッジ』開催。
イメージコンサルタントとして、外見力UPのサポート
結婚後の方には、パートナーシップコーチングやマザーズコーチングが好評。

三越伊勢丹で、婚活コミュニケーションセミナーや
行政主催の自己肯定感UPセミナー、
行政機関で就職活動者のための身だしなみ&メイクセミナー担当。
お仕事で
大切にしていること
人と人とのご縁を大切にすること。
誠実であること。お客様の可能性を信じること。
趣味キャンプ、海外旅行、朝ドラ・韓ドラ鑑賞
活動拠点東京・千葉
好きな言葉向き不向きより前向きに
特技・強み人の話を聴くこと。初対面の人と仲良く話せること。
血液型
星座しし座
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